【追悼】ゲルト・アルブレヒト氏~The late Gerd Albrecht~

レクイエムがつづきます。

読売日本交響楽団の桂冠指揮者、ゲルト・アルブレヒト氏が2月2日に逝去された。

bゲルト・アルブレヒト3
<2004年6月7日 全日空ホテル>

私がマエストロを最初に撮影したのは1994年にチェコ・フィルと来日した時だった。
ビロード革命後の民主化によって、
チェコ・フィルが初めて迎えた外国人の首席指揮者がアルブレヒト氏だ。
戦況の激化に伴い、各地へ逃難することを余儀なくされた彼は
ボヘミア地方のライペという所で終戦を迎えたという。
チェコ・フィル首席指揮者に就任するにあたっては、そんな経緯も関係があったようだ。

bゲルト・アルブレヒト2
<1994年6月6日 チェコ・フィル来日公演 サントリー・ホール>

子供時代に第二次世界大戦を経験しているもの同士、
戦争での悲劇を語り合ったこともあった。

マエストロは私より1つ年上で、同じ蟹座。
ベルリンの自宅で亡くなったとの訃報を受け取り
「蟹座だから水のある所が好き。
大西洋かインド洋が見渡せるタワーを終の棲家にしたい。」
そんなことを言っていたことを思い出した。

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<1998年3月31日 読売日響 東京芸術劇場>

スポーツ万能で、読書家。絵画への造詣も深いマエストロ。
学生時代はモデルのアルバイトをしていたというだけあって、
カメラの前ではダンディであった。
「16時間以上も同じポーズを撮り続けさせられたことがあったので、
 以来、ポーズを撮る写真は嫌いなんだ」と笑いながら。
また「女性にもてるんだ」と云い、艶福家を裏付けるように
ガールフレンドを伴って来日したことも思い出される。

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<シリーズ『石を聞く肖像』より~左は本に巨匠がしたためてくれたサイン>

人として、音楽家として魅力溢れるマエストロがドヴォルザークを振る姿を、
もう、撮れないと思うと淋しい限りである。
ご冥福をお祈りしている。

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<読響さよならパーティでの巨匠とのスナップショット>

木之下 晃

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【追悼】ピート・シーガー氏~The late Pete Seeger~

フォーク歌手のピート・シーガー氏がニューヨークの病院で亡くなった。
享年94。

ピート・シーガー
<1967年10月5日 名古屋市公会堂>

音楽写真家として、主にクラシック音楽を追い続けてきた私であるが、
音楽写真との出会いはフォークソングであった。
そして私が32歳の時に出会ったのが、
当時ベトナム反戦の立役者であったピート・シーガーだった。

70年安保を前にベトナム戦争反対の気運が高まる中、
日本でもプロテストソングとしてフォーク・ブームが起きていた。
そんな中、1967年にピートが来日。
私はカメラを持って会場へと向かった。
『花はどこへ行った』『ウィ・シャル・オーバーカム』を一緒に歌い、
彼がロングネックのシーガー・バンジョーを弾く姿を、
感動しながらフィルムに収めたのである。

ピート・シーガー3 ピート・シーガー2 ピート1

当時、広告代理店のカメラマンだった私は、
同世代の時代への叫びを、音楽を通して写真にする意義を感じ、
音楽を被写体に写真を撮り続けたいという想いを強くした。

その後、高石ともや氏と共に『FOLK SONG’69』という写真集を自費出版するのだが、
そこにピートは「フォークソングはプロセスだ」というメッセージを寄せてくれた。

folk song 1969年刊行 『FORK SONG'69』表紙

プレゼンテーション1 1969年刊行 『FORK SONG'69』より


当時、ピート達が放っていた力が、
若かった私を音楽写真へと導いてくれたと言っても過言ではない。

最後に、『FORK SONG’69』にピートが残してくれたメッセージを掲載して、ご冥福をお祈りする。

フォークソングはプロセスである

木之下 晃
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木之下晃

Author:木之下晃
音楽写真家木之下晃のブログです。
展覧会や出版のお知らせ、
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