音楽の遺蹤~ジャン・シベリウス生家

音楽の遺蹤~ジャン・シベリウス生家
〓フィンランド・ハメーンリンナ〓
(『音楽の友』2008年1月号より  写真・文: 木之下 晃)

シベリウス44 by akira kinoshita
<シベリウスが生まれた部屋>

 シベリウスは1865年12月8日午前零時半に、
ヘルシンキから北北西へ約100キロのところにあるハメーンリンナに生まれ、
ヨハン・クリスチャン・ユルウスとスウェーデン風に命名。ヤンネと愛称された。
 ハメーンリンナは、13世紀末にスウェーデン人が建てた
フィンランドで2番目に古い城のある中都市で、ハメ地方の城(リンナ)が地名の由来となった。
当時はロシア領の自治大公国で、ロシア軍が駐屯する軍都であった。
 父親のクリスチャン・グスタフ・シベリウスは博士号を持つ外科医で、軍医を務めていた。
シベリウス家の先祖は、ロヴィーサで商売をしつつ、
市会議員を務めていたスウェーデン系のブルジョワ階級で、日常会話はスウェーデン語であった。
フィンランドは19世紀初頭までスウェーデン領だったことから、
支配層のインテリ階級はスウェーデン語を話した。フィン語は労働階級の言葉であった。
現在もフィンランドではフィン語とスウェーデン語が公用語となっている。

シベリウス18 by akira kinoshita
<フィンランド・ハメーンリンナにあるシベリウスの生家>

 父は医師としてロヴィーサとタンペレで働いた後、40歳の1861年にハメーンリンナに移ってきた。
そこで美人3姉妹として街の評判になっていた牧師の末娘で、
20歳年下のマリア・シャールロッタ・ボイルと恋仲になり、翌62年に結婚した。
しかし、グスタフは1868年夏、患者から伝染したチフスで急逝。
その時、ヤンネは2歳半。姉のリンダ・マリアが4歳で母のお腹には弟が身籠られていた。
一家は破産宣告され、母は実家に戻ったが、牧師の祖父はすでに亡くなっていたため、
親戚などの援助を受けて生計をたてた。
父方のロヴィーサの親戚には、外国航路の船長をしていた伯父のヨハンがいた。
彼は外国の影響を受けて、名前をフランス風にジャンと綴っていた。
シベリウスは後年、この伯父への憧れから、自らも伯父と同じようにジャンと名乗っていた。

シベリウス45 by akira kinoshita
<姉弟がトリオを愉しんだ様子を復元。写真はロヴィーサで撮影されたもの>

 シベリウスの家系には音楽的要素が流れ、
父はリュートを奏で、歌を得意とし、母はピアノを弾いた。
トゥルクで商人をしていた伯父はヴァイオリンが上手で、作曲もできた。
また母の実家にはピアノがあって、牧師の祖父はヴァイオリンを弾き、
教師をしていた伯母はピアノの名手であった。
シベリウスは5歳の頃、この伯母からピアノを習い、9歳から本格的なレッスンを受けたが、
指の訓練よりも即興演奏に興味を示したという。
 7歳でスウェーデン語系の学校に入学したが、落ちこぼれ、
10歳の時にハメーンリンナに新設された「フィンランド・ノルマン学校」に移った。
この学校は、当時、独立運動のナショナリズムが勃興、フィン語の教師が必要となり、
その育成を目的に創設されたのであった。
しかし、シベリウスはスウェーデン語で育ったため、生涯フィン語は不得手であった。
シベリウス姉弟は貧しい家庭にあっても、祖母と母の努力によって、音楽の才能が磨かれ、
姉リンダ・マリアはピアノ、弟のクリスチャンはチェロの名手であった。
しかし弟は、父と同じ医学の道に進み、精神科医となり、後年大学教授になった。
シベリウス自身は14歳の時から、
ハメーンリンナ連隊の軍楽隊長グスタフ・レワンデルからヴァイオリンを習い、
学校のオーケストラのメンバーとなり、家庭ではトリオを愉しんだりして、
あまりにも音楽に夢中になって、卒業試験に落第。
一年遅れで卒業して、ヘルシンキ大学に進学、同時にヘルシンキ音楽院専科にも籍を置いた。
しかし、音楽から離れられず大学を2年で中退、音楽に専念するようになった。

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 生家は、一時人手に渡っていたが、現在は博物館として往時を復元。
所縁の楽器を収集して、シベリウスを回顧させてくれる。
またハメーンリンナには学生時代に下宿した家や学校、公園などがあって、
今はシベリウスを偲ぶ街となっている。

木之下晃アーカイヴス
次回は、音楽の遺蹤からトゥルク・シベリウス博物館をご紹介します。

■お知らせ■
木之下晃がライフワークとして取り組んでいた公募写真展
「寿齢讃歌―人生のマエストロ―」が今年は10回目を迎えます。
残念ながら10回目の開催を見届けることなく本人は旅立ってしまいましたが、
茅野市美術館では9月の写真展を前に、これまでの全作品をずらり見て頂く
スロープ展示が始まりました。
スロープ展示
毎年、写真がどんどん上達していく参加者の様子を木之下も頼もしく見ておりましたが、
こうして並べてみると壮観ですね!
この展示は9月27日まで。
「寿齢讃歌―人生のマエストロ―Ⅹ」は9月12日から9月27日まで。
また同時開催企画として9月6日(日)から10月26日まで
常設展示室にて「音楽写真家 木之下晃」写真展が開催されます。
茅野市美術館が追悼企画として収蔵作品を展示してくださいます。
木之下を偲んで多くの方に足を運んでいただけると嬉しく思います。
http://www.chinoshiminkan.jp/museum/2015/0520.html#photo



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音楽の遺蹤~シベリウス・アイノラ荘

本日、7月16日は木之下晃が生誕した日でもあります。
そこで、本日より、木之下がこれまで雑誌等に連載してきた記事を、折々ご紹介していきます。

初回は、2007年4月より『音楽の友』で連載していた
「音楽の遺蹤~音楽を感じる旅」より、
連載 第9回「シベリウス・アイノラ荘」です。

今年はシベリウスの生誕150年のアニバーサリーイアーであり、
これを前に木之下は、精力的に撮影を重ねたシベリウスの足跡の写真を、
改めて整理していました。そこで、数々の連載の中から、
初めに、シベリウスについての記述と写真を改めてご紹介していきます。

音楽の遺蹤~シベリウス・アイノラ荘
〓フィンランド・ヤルヴェンパー〓
(『音楽の友』2007年12月号より  写真・文: 木之下 晃)

シベリウス67 by akira kinoshita
<アイノラ荘にそのまま残されているシベリウスのベッドと作曲机>


 ジャン・シベリウスが亡くなったのは、1957年9月20日9時15分で、
死因は脳内出血だった。今年は没後50年となる。
私はシベリウス逝去の報を新聞で知り、
その時「エッ!!シベリウスってまだ生きていたんだ」と驚いたことを覚えている。
享年92だったが、同じ時代の人とは、つい思っていなかった。
 私がシベリウスの終の棲家となったフィンランドのトゥウスラ村ヤルヴェンパーにある
「アイノラ荘」を初めて訪れたのは、80年8月23日だった。
その頃はシベリウスの5女で72歳になるマルガレータさんがご健在で、
別荘として使っていたので特別の許可を得て撮影した。
 
 シベリウスがヤルヴェンパーに住居を移したのは、
1900年のパリ万博で彼の作品が演奏され、
それが評判になって国際的に名が知られたことから、
社会的名士として人々との付き合いが増えて
作曲活動に支障をきたして、隠遁するためであった。
 ヤルヴェンパーはヘルシンキから北北東へ約30キロ行った小村で、
当時は人気もまばらな樅や樺などの林に囲まれた静かな所だった。
シベリウスはトゥウスラ湖から2キロほど離れた丘の緑に土地を求めて、
山小屋風の家を建てた。
設計はフィンランドの著名な建築家ラルス・ソンクで、1904年の夏の終わりに完成。
愛する夫人の名前をとって「アイノラ」と名付けて、50年間の愛居となった。
この地にシベリウスが住んだことで、後に画家のペッカ・ハロネン、
作家のユハンナ・ヘイッキ・エルッコやユハニ・アホ、
詩人のエイニ・レイノなどの芸術家が移り住み、芸術村となった。
フィンランドを代表する作曲家のヨーナス・コッコネンの住居も、
建築家アルバー・アアルトの設計によって建てられた。

シベリウス51 by akira kinoshita
<フィンランドのトゥウスラ村ヤルヴェンパーにあるアイノラ荘
 シベリウスはその人生の後半をこの山荘で過ごした>


 このアイノラ荘で、5女のマルガレータ(1908年生)と6女のヘイディ(1911年生)が誕生し、
ヴァイオリン協奏曲をはじめ、第3から第7交響曲などの主要作品が書かれた。
しかし、1929年を持って作品を書く筆を折ってしまった。
以降30年近い歳月、作曲家としての謎の空白時代が続いた。
 晩年のシベリウスは書籍が壁面一杯に飾られた書斎の片隅に、
当時の最新ラジオやオーディオ設備を設えて、
外国の短波放送やレコードで、自分の作品を聴くことを愉しみにしていたという。
葉巻を好み、作曲部屋は寝室と兼用にしていて、ベッドが置かれていた。
私が訪問した時は、シベリウスが息を引き取ったベッドがそのままになっていた。
またシベリウスの作品にならなかった晩年のスケッチも見せてもらった。

シベリウス89 by akira kinoshita
<シベリウスが用いた五線譜と天眼鏡>

 そのシベリウスと親しくしていた日本人がいた。
それは初代駐芬代理公使として、1933年4月にヘルシンキに赴任した市河彦太郎氏である。
最初の公使館は、ヘルシンキの南のはずれにあるカイボ公園の前に建つ
6階建アパートの6階の半分を使っていた。
その6階のあとの半分にシベリウスの次女であるルート(1894年生)が嫁いだイルヴェス家が入っていた。
そのため時折シベリウスが訪ねてきていたことから顔見知りになったとのこと。
私は縁あって夫人の市河かよ子さんと知り合って、そのことを伺った。

シベリウス109 by akira kinoshita
<アイノラ荘の庭にあるシベリウスとアイノ夫人の墓碑>

 シベリウスの葬儀は、9月29日に国家葬として執り行われた。
彼の墓はアイノラ荘の庭にあり、義理の息子で建築家のアウリス・ブロムシュテットのデザインによる
名前が浮き彫りになった正方形の平らな大理石碑が置かれている。
またその墓碑には、1969年に98歳で亡くなったアイノ夫人の名前が小さく寄り添って刻まれている。

木之下晃アーカイヴス
次回は、「音楽の遺蹤」より、ジャン・シベリウス生家をご紹介します。

■おしらせ■
7月19日放送の『題名のない音楽会』はシベリウスを特集。
佐渡裕さんと藤岡幸夫さんがシベリウスについて語り、演奏します。
この放送で、木之下が撮影した渡邉暁雄さんの写真を使って頂きました。
佐渡さん、デビュー時の写真と共にお楽しみいただけますように。
(7月26日BS朝日で再放送)


お知らせ

■12年間24回コンサート『小山実稚恵の世界~想い出のアルバム~』にて
 写真を展示していただきました

以前このブログでもお伝えした、ピアニスト小山実稚恵さんが取り組んでいる
12年間24回コンサートという壮大なプロジェクト『小山実稚恵の世界』
その19回目のコンサートが6月27日(土)東急Bunkamuraオーチャードホールで開かれました。

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プロジェクト開始から10年、そして小山さんのデビューから30年、
節目の年に当たることから、会場にはこの10年を振り返る展示が施されました。

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そして、その中には、木之下晃が撮影した小山さんのミニコーナーも!

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これは、Bunkamuraの方が、
「小山さんを長く撮っている木之下さんの貴重な写真を飾ったら、
きっとファンの方に喜んでもらえるし、
ホールとして木之下さんへの追悼の気持ちも込めたい」と企画してくださったものです。

モノクロの3点は、小山さんご自身に選んで頂きました。
展示した写真はこちら!

koyama bunkamura4 1982年12月29日 芸大キャンパスにて。 小山さんカワイイ!!

koyama bunkamura5 1994年4月28日 サントリーホール

koyama bunkamura6 2007年8月10日 東京オペラシティコンサートホール 大野和士氏とのリハーサル

12年間24回コンサート、残すところはあと5回。
会場では「10年なんて、アッという間ね。最初のコンサートが昨日のよう…」
と話す、ファンの方の声が聞えました。
小山さんご自身は、演奏会後のトークイベントで
「ゴールした後、どんな気持ちになるのかは想像できない」とおっしゃっていましたが、
毎回満席となる会場のエネルギーをピアノにのせて、
素晴らしい演奏を聞かせてくれることでしょう。

■PMF2015
毎夏、札幌で行われる国際音楽祭Pacific Music Festival。
26回目を迎える今年は芸術監督にワレリー・ゲルギエフを迎えて、
装いも新たに、間もなく開幕となります。
木之下はPMFのスタート時から撮影を重ね、
2009年には北海道新聞社から『青春の音楽 PMF—Sapporo』を上梓しました。
そんな縁の深いPMF…
今年のPMFでは、会期中の7/10~8/1、札幌コンサートホールKitaraで
追悼の写真展示をしてくださるとのこと。
10点程度の小さな展示となりますが、Kitaraにお出掛けの際には
足を止めていただけますように。

kinoshita + ゲルギエフ for blog 新芸術監督ゲルギエフ氏と木之下晃 2004年小樽にて

■東京文化会館公演情報誌『音脈』
「木之下晃のレンズは語る」という連載を長く担当していた『音脈』
現在配られている最新号59号には、木之下晃の追悼ページを設けていただきました。
僭越ながら木之下の次女、貴子が『父の幸せな写真家人生を想う』と題して寄稿をしております。
「音脈」はWeb上でデジタル版を読むことができます。
ご高覧頂けると幸いです。

059.jpg

http://www.t-bunka.jp/onmyaku/059/index.html#page=1

今月7月16日、木之下晃生誕79年を迎えるこの日から、
これまでに雑誌に掲載されたエッセイや写真をこちらで紹介していく予定です。
引き続き、ご覧頂けると嬉しく思います。

木之下晃アーカイヴス
プロフィール

木之下晃

Author:木之下晃
音楽写真家木之下晃のブログです。
展覧会や出版のお知らせ、
撮影エピソードなどを紹介していきます。

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