【追悼】ピート・シーガー氏~The late Pete Seeger~
フォーク歌手のピート・シーガー氏がニューヨークの病院で亡くなった。
享年94。

<1967年10月5日 名古屋市公会堂>
音楽写真家として、主にクラシック音楽を追い続けてきた私であるが、
音楽写真との出会いはフォークソングであった。
そして私が32歳の時に出会ったのが、
当時ベトナム反戦の立役者であったピート・シーガーだった。
70年安保を前にベトナム戦争反対の気運が高まる中、
日本でもプロテストソングとしてフォーク・ブームが起きていた。
そんな中、1967年にピートが来日。
私はカメラを持って会場へと向かった。
『花はどこへ行った』『ウィ・シャル・オーバーカム』を一緒に歌い、
彼がロングネックのシーガー・バンジョーを弾く姿を、
感動しながらフィルムに収めたのである。

当時、広告代理店のカメラマンだった私は、
同世代の時代への叫びを、音楽を通して写真にする意義を感じ、
音楽を被写体に写真を撮り続けたいという想いを強くした。
その後、高石ともや氏と共に『FOLK SONG’69』という写真集を自費出版するのだが、
そこにピートは「フォークソングはプロセスだ」というメッセージを寄せてくれた。
1969年刊行 『FORK SONG'69』表紙
1969年刊行 『FORK SONG'69』より
当時、ピート達が放っていた力が、
若かった私を音楽写真へと導いてくれたと言っても過言ではない。
最後に、『FORK SONG’69』にピートが残してくれたメッセージを掲載して、ご冥福をお祈りする。

木之下 晃
享年94。

<1967年10月5日 名古屋市公会堂>
音楽写真家として、主にクラシック音楽を追い続けてきた私であるが、
音楽写真との出会いはフォークソングであった。
そして私が32歳の時に出会ったのが、
当時ベトナム反戦の立役者であったピート・シーガーだった。
70年安保を前にベトナム戦争反対の気運が高まる中、
日本でもプロテストソングとしてフォーク・ブームが起きていた。
そんな中、1967年にピートが来日。
私はカメラを持って会場へと向かった。
『花はどこへ行った』『ウィ・シャル・オーバーカム』を一緒に歌い、
彼がロングネックのシーガー・バンジョーを弾く姿を、
感動しながらフィルムに収めたのである。



当時、広告代理店のカメラマンだった私は、
同世代の時代への叫びを、音楽を通して写真にする意義を感じ、
音楽を被写体に写真を撮り続けたいという想いを強くした。
その後、高石ともや氏と共に『FOLK SONG’69』という写真集を自費出版するのだが、
そこにピートは「フォークソングはプロセスだ」というメッセージを寄せてくれた。


当時、ピート達が放っていた力が、
若かった私を音楽写真へと導いてくれたと言っても過言ではない。
最後に、『FORK SONG’69』にピートが残してくれたメッセージを掲載して、ご冥福をお祈りする。

木之下 晃
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